厳戒下のカンボジアを行く
カンボジアの人たちの朝は早い。太陽とともに起き、日が沈むと眠る。
人間として当たり前の生活であり、合理的でもある。
日本人がそんな生活をしなくなって久しい。夜遅くまで電気をこうこうとともして、勉強したり仕事をしたりするのが、いつの日からか”善”になってしまった。
エネルギーを生み出し、消費する回路がいつの間にか変わってきたためだ。
それは人間の知恵によるものだ。
知恵がいつも正しいとは限らない。悪知恵もあれば、知恵が欲望をかりたてることもある。「意識」はしばしば「無意識」を汚してゆくのだ。
カンボジア人に米の二期作を教えた日本人の技術者に、当のカンボジア人は「ありがとう。これで来年は働かなくていい」と言ったという。
何というおおらかさであろう。何と欲のないことであろう。
カンボジアの人たちは、仏教に裏打ちされた秩序だった心を持っている。
それでも、なのか、それゆえか、人々の無意識がとても美しい。
底辺にいる物乞いにいたるまで、そうなのにはただ
ただ驚く。
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